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『雪』… 天からの手紙に書かれている言葉それは「無限の可能性」です。
深い眠りの後、まだぬくもりきらない空気の中で目にする朝焼け。その輝きは北の大地の春のようです。爛漫と咲き誇る北国の桜。過ぎ去った白い季節と、次に控える群青の時の狭間で冷たさの残る風を薄紅に染め上げます。
温み始めたふるさとの川を出た小さな命が蛇行する流れと戦いながら大海原に辿りつく頃。その時を、息を潜めて待っていたかのように大地が躍動し始めます。藍を流し入れたかのような海の色が北国の儚い季節に鮮やかさを添えてくれます。
滅多にその姿を見せないといわれる湖には大自然の神の意志が宿るといいます。
無限の可能性を秘めた大地を駆け抜けていった時間。
その中で繰り広げられてきた命のドラマにはいつもこの地の守り神の眼差しが注がれてきたのです.希望を蓄えた枝はそれを大地に託すかのように葉を落とし新たなる天からの使者を受け入れる準備を整えます。真っ白な雪をキャンバスに壮大な夢を描けと囁くカムイの声はあなたにも届いているでしょうか。
手つかずの自然に囲まれた蝦夷地を旅した経験を買われて開拓判官となった松浦武四郎は、アイヌの人々との出会いを生涯の宝とし、職を辞しても彼らを守ろうとしたヒューマニストでした。手つかずの自然の中を隈なく歩き、北の大地に名前を付けた開拓判官は、松浦武四郎。その案内役を務めてくれたアイヌの人々が互いを「カイノー」と呼び合うことに 「北海道」という名のヒントを得たと言います。アイヌの人々への非道な行為に 判官の職を辞して抗議した武四郎。そのヒューマニズムは150年の時を超えてサミットという形でこの地に開花しました。松浦武四郎が愛したアイヌ文化。それは今多くの人の心を魅了しています。北海道の名付け親、松浦武四郎。彼が自作の地図に書き記した地名や交流を描いた絵には民族の壁を超えた熱い思いが込められているのです。
三重県松阪市「松浦武四郎記念館」。
ここに北海道の歴史を紐解く重要な資料が残されています。北海道の名付け親である松浦武四郎が蝦夷地と呼ばれていた北の大地に初めて足を踏み入れたのは1846年のこと。
アイヌの人々を案内人として武四郎は択捉にも足を伸ばし、アイヌ語をもとに地名を付けていったのです。小柄な体で1日60キロ以上も踏破しながら武四郎は自分の天命が蝦夷地を切り拓くことであると悟ったのです。武四郎が28歳から41歳までの13年間に6度に渡って敢行した蝦夷地への旅。その貴重な遺産のひとつは
彼が名付けた9800にも及ぶ地名が示す垣根を超えて結ばれたアイヌの人々との絆です。
北の大地の地図を作り、9800もの地名を残した松浦武四郎。
旅の水先案内人であった人々との友情を生涯大切にした人でもありました。
武四郎が生まれた伊勢国須川村(現三重県松阪市)は、伊勢参りで賑わう伊勢街道と奈良街道が交わう賑やかな街道街でした。当時の日本の人口3000万人のうち500万人もの人々がお参りしたとされ、武四郎の家の前を行き交ったといいます。旅人の話に、武四郎は幼少のころからまだ見ぬ土地への憧れを抱くようになり、16歳にして江戸へ向かい家出します。その後も日本諸国を旅し、長崎で蝦夷地がロシアに狙われていることを知ります。 蝦夷地の探索は、彼の好奇心と国を守りたい、という愛国心であったのです。 蝦夷地に初めて渡ったのは、武四郎28歳の春のことでした。
懐かしい鐘の音に思いを馳せながら、郷愁の筆を走らせた作家、森田たま。
彼女の作品の中で、生まれ故郷は宝石のような輝きを放っています。
札幌を訪れる観光客が一度は足を運ぶ時計台。開拓のシンボルでもあるこの時計台に
一方ならぬ思いを寄せ、幾度となく作品の中に登場させたのは北海道の第1号女流作家となった森田たまです。彼女にとっての時計台は、自らの命の原点を思い起こさせる象徴的な存在でした。北海道の自由な風土が育んだ森田たまの才能。女学校時代から文学に憧れを抱いていた彼女は、随筆という形で自らを表現し始めます。故郷を離れた彼女の心の中にはいつも懐かしい鐘の音がこだましていたのでしょうか。札幌が生んだ北海道第1号の女流作家、森田たま。彼女が愛した故郷に響く鐘の音は、今も、街行く人の心に彩りを添えています。
昭和50年代、北海道を旅する者に欠かせない書と称された1冊の本がありました。その本の作者、更科源蔵は故郷に理想郷を見出し、物を書く人間としての夢と人生をこの地に捧げたのです。「若く逞しく大いなる夢はここに羽根広げ」厳しくも美しい北海道の自然は、一人の若者を土の詩人に育て上げたのです。明治37年、弟子屈の熊牛原野の開拓農家に生まれた更科源蔵は、学生生活を東京で送った後、故郷に戻ります。
一度離れたからこそ知り得る大自然の素晴らしさ。それがこの地に憧れを抱く旅人の心により一層の旅情をかき立てる文章を生み出したのかもしれません。
北海道。ここはかつて氷と雪の世界であった。北海道を創作活動の理想郷とした更科源蔵。魂の在り処を求めた故郷の原野を、彼がこの上なく愛したように、北の大地もまた、この作家を愛し続けるに違いありません。