自然と人々に魅せられて…。「おしゃべりな写真館」 監督が北海道鹿追町に移住して「第二の人生」
2025年 4月 8日 12:48 掲載
大分県出身の映画監督、藤嘉行さん(66)
十勝・鹿追町を舞台にした映画「おしゃべりな写真館」の脚本・監督を務めました。
この舞台は鹿追町で100年の歴史をもつ「三國写真館」。
最愛の妻を亡くし、さらには緑内障を患い、生きがいを失ったカメラマンの男性と心に傷を負った少女との出会い。
そしてこの世に未練を残し、幽霊となって少女の前に現れる男性の亡き妻と父…。
この4人が織りなす、写真館再生への道のりを描いた物語です。
幼い頃から映画好きだったという藤さん。映画の専門学校に進学し、卒業後は東京で2時間ドラマや映画の監督を務めていました。
■映画監督 藤嘉行さん:
「もうずっと大変ですよ。なかなか食べていける商売じゃないし/俳優さんもそうだけど芸能の世界というのはほんの一握りだから。」
鹿追町との出会いは6年前。東京で製作した映画の上映会のために訪れたのがきっかけです。
■藤嘉行さん:「あまりに景色が素晴らしかったので/この十勝平野って北海道の中でもちょっと違うし、僕も初めてだったので/内容関係なく、漠然と撮りたいなというのが最初のきっかけで。」
東京と鹿追を行き来をしながらの脚本作り。
その地を知るために、瓜幕地区の新聞店を営む井出照子さん(75)に頼み込み、新聞配達に1か月ほど同行しました。
■藤嘉行さん:
「1軒1軒の間が広いからね。」
■井出照子さん:
「そのうえに太陽が登るなんて言ったら、ちょっとまってーって写真撮ってね」
■藤嘉行さん:
「ここの家ね、夫婦喧嘩ているから、車が停まってないんだとか家の事情まで知ってね。」
ロケ場所舞台となった写真館のロケセットを建てた場所も配達先のひとつです。
井出さんの話をきっかけに映画にちりばめた要素「山村留学」。
都市部の小中学生が親元を離れて農村地域に移り住み、現地の学校に通う制度です。瓜幕でこの制度を立ち上げたのが、井出さんの亡き夫でした。
■井出照子さん:
「もういろんな情報を伝えようと思って一生懸命だった。
映画に少しでも山村留学がでるといいなとか、瓜幕を宣伝するいいきっかけになるといいなと」
■藤嘉行さん:
「それは照ちゃんの望み通りになったんじゃない」
コロナ禍ですら、転機だったといいます。
■藤嘉行さん:
「ある意味コロナで中断したというか進まなくなった時間が結構逆に良かったのかなと。/逆に1人っきりの時間が、あっちこっち見たりしていたのもあるし。」
こうして「おしゃべり」が絶えない写真館の物語が生まれました。
■藤嘉行さん:
■藤さん「コロナの時も、黙食黙浴、お風呂場でもしゃべっちゃだめと書いてあったよね/人としゃべって色んなことが生まれるし、感情の垣根も解かれてくる訳だしという意味合いがあって。」
地元の人に多く映画に出てもらうことも藤さんのこだわりでした。
「元気?」
「元気です。おはようございます。」
子役として映画に出演した榎原椿さん(15)。
東京出身で実際に瓜幕で山村留学を経験しました。留学後、東京には戻らず、移住しています。
■藤嘉行さん:
「椿くんが1番苦労したシーンだね」
■榎原椿さん:
「苦労しましたね」
「滑れるのに、転ばなければならないから、滑れるのにへたっぴにならなければならないのが難しいって。」
「監督はフレンドリーだなって思います。映画というものがどうやって作られているか知らなくて/チームの要でいいなと思いました。」
「いいこと言うね。」
およそ1年かけて撮影し去年、全国上映も果たした「おしゃべりな写真館」。現在は鹿追で設立した会社のメンバーとともに、宣伝や営業をしながら各地で上映会を開いています。
■観客:
「やっぱり景色がすごくきれいに撮れていて感動しました/十勝を題材にしてくれてありがたい」
「私も早くに母を亡くしていたから。/幽霊になっても、お化けでもなんでもいいから、会いたい人には会いたいです。それが見られて、良かったと思いました。」
40年以上、積み重ねてきた映画人生。この映画をきっかけに「第二の人生」を歩み始めました。
■藤嘉行さん:
Qもういよいよですね
「もう転入届も出しました。住民になりました。」
映画を通して生まれた地元の人たちとの絆やもっと町に貢献したいという思いから鹿追町への移住を決断したのです。
■藤嘉行さん:
「もっと頑張らないとね。映画の上映を広げないと。頑張っていくしかない、いいところだからね、鹿追町は。」
地元の人たちと「おしゃべり」ができる空間も新たに作りました。
「カフェおしゃべりな写真館」。映画のセットで使った小道具や、出演者のメッセージなどを展示したカフェです。映画で繋がった地元住民とともに営業しています。昼はランチが食べられる喫茶店に。夜は、お酒が飲めるスナックに変わります。
■藤嘉行さん:
「おしゃべりな写真館の名前にしたので、ここでおしゃべりがいっぱいできるといいよねっていうので作ったので。/おしゃべりする場所になればいいんですよ。」
支えてくれた鹿追町の人々に恩返しを。次の映画の製作に向かって新たな舞台での挑戦が待っています。
■藤嘉行さん:
■藤さん「もっともっとこの映画を広げなければならないし、次の作品も撮らなきゃいけないし。
映画を撮るってお金もかかって大変だからそう上手く行かないけど、やりたい気持ちだけもっていれば、75歳になったってできるわけだから。
そこに向かって頑張るしかないと思っていますね」