元衆議院議員・石川知裕氏、52歳で逝去 葬儀には波乱の政治家人生を偲ぶ700人が参列
2025年 9月15日 17:30 掲載
52歳で亡くなった元衆議院議員・石川知裕さんの葬儀が週末開かれ、およそ700人が参列しました。その政治家人生は波乱に満ちたものでした。
笑顔で有権者らに手を振る石川知裕さん。今月6日、大腸がんのため52歳の若さで亡くなりました。13日、帯広市で営まれた通夜に2人の子どもたちと並んであいさつに立ったのは、妻で衆議院議員の香織さんです。
石川知裕氏の妻・石川香織衆議院議員)
「決して平坦ではない人生の中で、悔しい思い、納得しない思い、我慢しなければいけなかったことたくさんあるかと思いますが、私は本人から不満や面白くなかったといったようなことは、一度も聞いたことがありません」
参列者はおよそ700人。同じ足寄町出身で新党大地・真民主時代に共に戦った鈴木宗男参議院議員が、葬儀顧問を務めました。
鈴木宗男参議院議員)
「年は私より若いけども、人生の中で私自身、教えられること多々あったなと今、改めて振り返ってます」
小沢一郎氏の秘書だった2005年、地元の道11区から当時の民主党公認で初めての衆院選に臨んだ石川さん。
石川知裕さん)
「ひとつひとつの発言、行動というものがより大きく意味合いを持つことになるので、慎重に頑張っていきたい」
2007年に繰り上げ当選を果たすと、2009年には自民党の中川昭一氏を破り「中川王国」の牙城を崩しました。しかし小沢氏の資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐり政治資金規正法違反に問われ、2013年に議員辞職、執行猶予付きの有罪判決が確定しました。
公民権停止中の2017年には、代わりに出馬した妻の香織さんを裏方として支え、当選に導きました。
石川知裕さん)
「しっかりまずはトップリーダーになって、この被災地の復興に全力を傾けることをまずはお約束させていだたきたい」
2019年には道知事選に出馬するも鈴木直道氏に敗れ、立憲民主党から出馬した2022年の参院選でも落選しました。そんな中、去年の3月、大腸がんが発覚。1年半の闘病生活の末、この世を去りました。
亡くなった翌日、石川さんが企画していたイベントには本人不在の中2000人もの支援者らが詰めかけ、立憲民主党の野田佳彦代表も哀悼の意を示しました。
立憲民主党・野田佳彦代表)
「いつも地元のことを熱く語る人でありました。石川知裕さんの政治人生は、不撓不屈の政治人生だったんじゃありませんか」
14日に営まれた告別式。弔辞を読み上げたのは、石川さんを息子のような存在と語る小沢一郎氏です。
小沢一郎衆議院議員)
「まさにこれから政治家としてさらに一層の高みに飛躍しようとし、その時に小沢一郎を潰せ、当時の政府、検察、官僚の不当な行使に巻き込まれてしまいまして大変な苦労をし、そして挙句に衆議院議員の地位を失う結果となってしまいました。君には本当にこの間も大変つらい思いをさせたことに対し、申し訳ない思いをずっと自分の心には持ち続けてまいりました。君に対するせめてもの恩返しとの思いで残された香織君と子どもさんたちに対して出来る限りのバックアップをしていく決意であります。知裕くん、本当に世話になった。本当にありがとうございました。どうか安らかにお眠りください」