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2014年9月16日
「夫が残してくれたパン」 相馬吟子(48歳・会社員)=札幌市

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この日も仕事帰り、夕食の介助(かいじょ)のために、夫の入院する病院に寄りました。
スプーンなどが入ったかごの中に、バターロールが1個あるのを見つけ、
「食べ残したの? 私が食べてもいい?」と、夫に断って食べ始めました。
すると夫は、小さな、か細い、でも私にハッキリ聞こえる声で
「残しておいたんだ」と言いました。
え、私のために、と、本当にびっくりしました。

 夫は、若年性の進行性核上性麻痺(しんこうせい・かくじょうせい・まひ)
という病気で入院して、1年になります。
私は仕事と子育てをしながら、毎日、夫の病院に通っています。
 年明けから、だんだん調子を落とした夫は、食べられる量が少なくなりました。
食欲が出るかと思い、病院に頼んで、入院前と同じ、朝はパン食にしてもらいました。
うれしいことに、先月ぐらいから調子を取り戻し、会話もいくらかできるようになり、
食べられるようになってきた直後のできごとでした。
 その数日前、やはりパンが1個ありました。
袋にマジックで「あとでたべる」と看護師さんの字で書いてあったのですが、
もうすぐ夕食が出るので、夫に断り、私が食べました。
夫はきっと、それを見て、私はいつもおなかがすいていると考え、
朝食に2個出るパンのうちの1個を、取っておいてくれたのでしょう。

 夫の気持ちがうれしくて素直に「ありがとう」と口にしました。
涙が出そうになるのをこらえ、満面の笑みで。


2014年9月9日放送
2014年9月9日放送 「還暦後の七五三 」 佐々木律子(67歳・主婦)=釧路市

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この夏、私たちきょうだいは、ユニークなお祝いをしてもらいました。
まもなく卒寿を迎える母の提案で、還暦を過ぎての七五三を祝ってもらったのです。
母89歳、私67歳、弟65歳、妹63歳。
母が言うには、自分が元気でいられるのは、子どもたちが近くにいて、
たくさんのパワーや楽しみ、喜びを与えてくれるからこそ。
お祝いは、母の喜びと感謝の気持ち、といいます。
 母の家に集まり、私たち3人の記念撮影をして、
それから、和服を着ておしゃれをした母と、私たちの家族みんなで、
スナップ写真に納まりました。
 今回撮った写真と、60年前のセピア色になった七五三の写真を見て、
私たち以上に母の思いは深いものがあったでしょう。
ひととき思い出話になりました。
母のおかげで私たちは、すてきな思い出となるプレゼントをもらうことができました。
 この後、みんなで食事。
そして私たちからの感謝のお返しは、母の大好きなマージャン大会。
まだまだ子供や孫たちには負けないからすごい。
次のイベントは、お母さんの、卒寿のお祝いです。
一族みんなで楽しみながら計画を立て、喜んでもらえる会にしたく思っています。
天国のお父さんも是非参加してね。
 お願い、お母さん。あなたを悲しませたくありません。
私たちよりお先に、お父さんの所へどうぞ。
 おかあさん、ありがとう。


2014年9月2日放送
2011年1月9日掲載  「足湯」  山内ひとみ(当時60歳・主婦)=芦別市

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私の母は85歳。私と夫と3人暮らし。冬になって、少し認知症が進んだ気がする。
そんなある日のことだった。
 「母さん、足湯だよ」。
私はいつものように、ちょっと熱めの湯をバケツにたっぷり入れて、
甘い香りのバラのせっけんも用意して、母をいすに座らせる。
 細くなった足を両手で持って湯に浸し、ふわふわの泡で、
ふくらはぎから足の裏、指先へとゆっくりマッサージしていく。
上がり湯に取り換え、全てが終わるまでおよそ30分間、私はにわかエステティシャンになる。
 足元から伝わる湯の温かさで母のほっぺはピンク色。
母は「ああ、なんて気持ちがいいんだろう。ありがとう、足まで洗ってもらってね」と
夢心地の様子だ。
 見上げると、母は涙を拭っている。そして、私の肩に手を置いてこう言った、
「優しいお父さん、お母さんに育てられたんだね」

複雑な思いが込み上げてきた。
うつむいた私の目から大粒の涙があふれ、湯の中にポタポタと落ちて消えた。
 冷え込んだ日などに幾度となく繰り返した足湯。
きょうの足湯も母はきっと明日には忘れるだろう。
それでも今、この一瞬をうれしいと思ってくれるだけで私は最高に幸せだ。
 母さんありがとう。
私を育ててくれた優しい母親は、あなたですよ。
 バケツのお湯を捨てながら、心の中でつぶやいた。


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