カメラマンスケッチ~
こども食堂 もうひとつの帰る場所
札幌市豊平区に3年前に
オープンしたこども食堂がある。
月2回の開店日は
地域のこどもたちがどっと集まり大盛況。
家庭の事情で
保護者と一緒に夕食をとれないこどもたちにとって
かけがえのない居場所。
このこども食堂の半年をみつめました。
遺骨を還せ!闘うアイヌの長老
2017年10月、東京大学の「赤門」前で、アイヌの人々が慰霊の儀式を行いました。
祭祀を務めたのは旭川市のアイヌの古老。彼らは「先祖の遺骨を返せ」と訴えています。
東大、京大、そして北大。日本を代表する国立大学に、アイヌ民族の遺骨が保管されています。その数は1600体あまり。ほとんどは人類学者が過去にアイヌ墓地を掘り起こし収集したものと言われています。
大学へ、国へ、法廷へ―。先祖のために戦い続けるアイヌの人々の願いを聞きました。
ユルリ島と、残された馬
根室沖に浮かぶ無人島・ユルリ島。
かつてコンブ漁の番屋が並んでいたこの島で
動力として活躍した馬が残されて40年あまり。
いま、この島には野生化した馬が3頭残る。
この島の記録を残し続けるのは
稚内出身の写真家・岡田敦さん
島に残された馬はどうあるべきべきか。
島に植わる貴重な植物や生息する海鳥と
いった豊かな自然を守るには...。
そうして島はまた、冬を迎える。
また多頭飼育の悲劇が...放置されたネコ
ネコを自宅に閉じ込めたまま、
飼い主が別の場所に引っ越してしまったケースが
再びみつかった。
中にあったのは複数の猫の死骸。
悪臭や大量のハエなどに近隣住民は悩まされた。
飼い主の50代女性はHTBの取材に対し、
「最初に増えないよう去勢手術を怠ったことが過ち」と答えた。
なぜ多頭飼育崩壊が起きるのか。
動物愛護法の適用は可能なのか。
THE追跡で検証する。
建国150年のカナダ 白老町からアイヌ民族を発信
今年、建国150年を迎えた、カナダ。
人口の4%を占める先住民族との共生を目指す「多文化主義」を国是に掲げている。
一方、来年は、北海道が命名されてから150年となる。
それに向けて、注目が集まりつつあるのが、アイヌ民族の歴史と文化だ。
先月、胆振の白老町長らがカナダを訪れ、白老町の魅力やアイヌ民族のことを紹介した。
なぜ、カナダでの情報発信に乗り出したのか。
アイヌ遺骨返還と遺族の憤り
平村ペンリウクさん(1833-1903)。日高の平取町で、アイヌ集落(コタン)の大酋長として有名だった人物で、今でも名誉町民として尊敬を集めています。
ペンリウクさんの遺骨も、北大に保管されている可能性が高いとされています。「ペンリウク」と書かれた頭骨が北大に保管されているのを、札幌に住む遺族が確認しているのです。
国や北大は、保管しているアイヌの遺骨は遺族に返還する方針です。しかし、「ペンリウク」の遺骨は、まだ、遺族の元には戻っていません。
ドバイからスーパーシェフがやってきた!
ドバイからスーパーシェフがやってきた!
なんと狙いはラーメン!
中東でも人気だというラーメン。
本場北海道の味がどうしても出せない、というシェフが
ラーメン店でプチ修行。注目の味は?
浦幌町にアイヌ遺骨返還
十勝の浦幌町から北大に持ち出されたアイヌの遺骨。「尊厳ある慰霊」を求めた裁判は2017年3月に和解し、63体の遺骨が約80年ぶりに故郷に戻ります。
受け入れるのは、浦幌アイヌ協会。会員わずか14人。慰霊の儀式〝イチャルパ〟を行うのは、彼らにとって初めてのことです。
遺骨の返還、そして地元での儀式を通じて、彼らが手にしたものとは?
北大でイチャルパ 地元への返還の是非
ドイツから138年ぶりに遺骨が返還され、納められた北海道大学で、アイヌ民族の慰霊の儀式「イチャルパ」が行われました。北大でのイチャルパが行われるのは34回目。アイヌの人々の中には、一刻も早く地元に戻して埋葬し、地元でのイチャルパを望む声があります。一方で、遺骨が返還されても、長く慰霊を続けることが困難な地域もあります。先祖の霊を慰めるためには、どのような慰霊が良いのでしょうか。
アイヌ遺骨 ドイツからの返還
ドイツで保管されていたアイヌ遺骨が、日本に返還されました。
明治のころ、ドイツ人の旅行者が、札幌のアイヌ墓地から盗み出したものとされています。
なぜ、アイヌの遺骨は、遠くドイツにまで持ち出されていったのでしょうか。
そして、なぜ、138年もの時を経た今になって、返還されることになったのでしょうか。