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くじらもり惣七・あしたのためのその1

2010年02月08日(月)

おはようございます。
嬉野です。

さて奥さん。
人が酒を飲む。しかもそこは自宅ではなく、
見も知らぬ男女が気ままに出入りするBARなのであります。

帰る家はあるのです。なのに、その男は仕事を終えてもその家へ帰ろうとしない。
そうして、あの煙草くさいBARの扉を、今夜もまた開けてしまうのでありますよ。

人間は寂しいのだと誰かが言っておりました。
だったら寂しさの待っているようなところへは、誰も帰りたくはなかろうと思うのです。
そしてその寂しさの待つところが、こともあろうに我が家であったとするならば、
人は、その家に帰る理由を失うのです。

人の行動には理由が必要なのだと誰かが言っておりました。
それはまぁ私が言ったのですがね。

つまり、寂しさや悪運が身近にあるのであれば、人は可能な限り避けたかろう。
避けきれぬとしても出来る限り迂回しようと務めるものです。

自分の家に帰っても、そこには寂しさが待っているのだ、と思えてしまうのであれば、ぼくらはその場所を迂回することでしょうよ。
そして、その迂回路の途中にさ、柔らかい人の温もりの風が吹き抜けるBARの扉があったりすれば、その扉を押し、酔客という、その場限りの人間関係の中へ逃げ込んでしまうものなのです。

かくのごとく考えていけばね、
夜更けのBARの扉を押してしまうという行為の中には、
実に、切実な理由があるのだと分かるのです。

そんな理由に導かれて、男は夜更けのBARの扉を押したのです。
そして、そんな寂しさを抱えて暮らす男の名を、人はキャップ福屋渉と言うのです。

いやまぁ、なんでしょう、確かに、ここは、ぼくらの近くにいるアーティストを、
全国の皆さんに紹介するためのページであってね、
何もうちの制作部長の寂しい境遇をこまごまと報告する場ではないわけですよ。

しかしながらですよ。
なぜでしょうか、書いておりますと、
知らぬ間に、どうしても、こういう流れになってしまうのでありますよ。

う~むと思いつつも。このサイトの底には不幸やら寂しさやらが春の小川のめだかやおたまじゃくしのように群れ流れているのだと思えてしまうものだから、ついつい、うちの制作部長の人生を、かくのごとく赤裸々に綴ってしまうのでありますよ。

実際、これを読み、我が制作部長キャップ福屋渉氏は不服であると思うのです。
なんでオレの人生をね、そこまでフューチャーする必要があるんだと、
キャップから怒りの投書だって来そうでありますが、やはり、これはですよ、
ゆるがせには出来ないテーマのような気がするのでありますよ。

なぜならね、ここで紹介する絵描き鯨森惣七もまたね、家族を持ちながらですよ、家庭内別居というね、家庭の事情により、帰る理由を失い、同じBARの扉を押し続けていたわけですからね。

その二人が、このBARで出逢うのです。
物語はその巡り会いという偶然から生まれていったのだ、と思えば。
迷惑だ!と、キャップ福屋渉氏に言われようとも、やはりそれは、ゆるがせには出来ない春の小川の流れというものなのである。という一応の結論ですよ。

とまぁ、本日のところは言っておくのでありますね。

嬉野 雅道