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アーティスト応援企画ブログ

ニンゲンはアホーなのよ

2010年05月28日(金)

こんちは。
嬉野です

ここにも、まだ、たくさんの人が来てくれているんだね。
そう思ったら、
せっかくなのでと思い直して、とりとめもなくですが、
書いてまいろうかと思う次第で。

本日、鯨森企画「ぺのおじさん鯨森惣七のダラララーな日々」
その第五話を更新いたしました。

おじさんと浜で焚き火をしながら、
あれこれと話した事を書きました。

「自然」っていう風にね、
ぼくらは、一言で言ってしまうけど、

でも、朝、家で起きて、ご飯食べて、学校や会社に行って、
勉強して働いてして、また家へ帰ってくるとすればさ、

その間に、ぼくらはどれくらい自然に接しているのかなって思うよ。

少し前に、うちの会社の女の子が言ってたよ、
自分は田舎の出身だから、
家で親と喧嘩したり、学校で嫌なことがあったりしたら、
すぐ家の近所の山に入って遊んだんですよって、

そう言ってた。

山に入ると、
日が暮れそうになるまで歩き回って、

アケビがあるとこを知ってたり、
ヤマブドウ食べたり、
季節によればきのこを採ったり、花を見たり、
草木の匂いをかいだり、
バッタを取ったり、

見晴らし好いところに出たら、
下界を見下ろして、
遠くに海が見えたり、
ごろりと寝転んで、青い空を見上げたり、
したら、とんびが飛んでいたり、

ある子は、
実家が凄い田舎にあったから、
家を出て少し歩くと、
夜はもう凄い星空で、

嫌なことがあった時も、
夜、寝転んで、星を見てたら、
しらないうちに、なんだか大丈夫になってきて、
また明日から生きていけそうな気がしたって言ってた。

それを聞いて、ぼくはホントにそうだなって思った。

自然は、ぼくらの気が晴れるまで、いつまでも付き合ってくれる。
それはさ、ぼくらが見飽きないってことだと思うのね。

おじさんも言ってたけど、
ホント、自然がぼくらに教えてくれるんだよね、
きれいってこうなんだよって、

星だって、田舎に行けば怖いくらい満天に輝いていてね、
それが全部恒星だってことは、
どれもが太陽のように燃えていたりするわけで、

まばたきするよぅに見えるのは、
地球からびっくるするくらい遠いからだとか、
見ているうちにいろんなことを考えて気分が変わってしまうんだよね。

自然に目を奪われながら、
新たに自分の身体に、好いなぁってものが、どんどん入ってくるから、
それまで自分の中に溜まってしまっていたものは、出て行くしかない。

そうやって、ぼくらは、気持ちをリフレッシュさせる力を身体的に持っている。

持っているけど、自然に接する機会を失うたびに、
その力を発揮することもなく、
胸に抱えた悪いものを、どうしたら処理できるのか、
それも分からないまま、
弱っていってしまうのだろうなって、
おじさんの話を聞きながら思った。

自然は、
片時もぼくらを飽きさせないほどの情報量に満ちているよね。

その、途方も無いほどの情報量を秘めた自然は、
ぼくらが作ったものでもなければ、
ぼくらに作れるものでもけしてない。

浜に寄せる波だって、
片時も休み無く打ち寄せていて、
あの波を、人間の作り上げた動力でまかなうとしたら、
どの国家も一日と持たず破産すると思う。

おじさんは、
みんな、珈琲カップばかり見て、
テーブルを見ようとしないって言ってた。

テーブルは、いつもあると思っちゃだめだって言ってた、

ぼくらは、テーブルがあるから、乗っかってられるだけだって、
そうおじさんは、何度も何度も言ってたよ。

嬉野 雅道

冷たい風吹く海で焚き火をする

2010年05月16日(日)

嬉野です。

クジラさんと浜で焚き火をしてきました。
昨日はまだ風が冷たくてね。

それでも、浜に椅子を持ち込んで、
にぎりめしをほうばりつつ、
たまに煙が目に沁みて、と、しながら、

薪をくべくべ、
日暮れ頃までおりました。

昨日、浜でクジラさんに聞いた話は、
連載中の「ぺのおじさん鯨森惣七のダラララーな日々」に、
書こうと思っておりますのでよろしく。

連載も今週は第4話までは更新する予定です。
ぽっかり空いた時間にでもお読みください。

クジラさんの絵本を読んでの感想が、
ぱらぱらと、ここのBBSにも来始めています。
興味のある方も無い方も、一度、覗いてみてくださいませ。

それでは、また。

嬉野 雅道

焚き火の炎がゆれる鯨森惣七の思い出がゆれる

2010年05月14日(金)

嬉野です。

ここのBBSにもクジラさんの絵本の感想がポツポツ入ってまいりました。
のぞいてみてくださいませ。

さて、クジラさんは、焚き火が好きだそうでね、
心の中に、もやもやがたまって満タンになると、海に行くのだそうです。

明るいうちに流木をひろって、浜で焚き火をするのだそうです。

流木が燃えて炎がゆれる。
クジラさんは、その火をじっと眺めて飽きる事がない。

潮風が吹き、海はだんだん暮れていくだろう。

でもさぁ、焚き火の炎を見ているだけで、
どうしてニンゲンは飽きる事がないのだろうね。

そのまま夜の更けるまで、なにごともせず、
ただ、くゆる火を見つめていたとしても、
人は、無駄に時をすごしたと悔やむことも無い。

潮騒の音もうるさいとはけして思えない。

ほら、やわらかな潮風が、頬やそこここに気持ちよく吹いてきた、

脇には犬が寝そべって、
主人の顔色をうかがいながら、からだを寄せてくる。

気心の知れた友人が一緒だったら、
きっと夜の明けるまで、赤い炎を見ながら話すだろう。
その話はきっと、都会ではとてもできない話で、
話したふたりはきっと、明日からもっと仲良しになるのだろう。

クジラさんは、焚き火をすると心が浄化されると言っていた。

知らないうちに人は、心の中に、自分では処理できない問題を溜めてしまうから、
溜まったものが満杯になったら、ぼくらは、心が痛み出すから、

それでも、その溜まっていくものの出し方を知らなかったら、
人は、どんどん弱っていく、

だから、クジラさんは、焚き火をしに海へ行く、
そうして、燃える炎を見ながら、魂を浄化するのだという。

そのうち、連れてってもらおうと、密かに思っているのである。
焚き火にね。

ニンゲンは、きっとたくさん、気持ちい好いなぁって思える感覚を持ってるよ。
ただ、その使い方をさ、いつの間にか教えてくれる人がいなくなったから、

だからニンゲンは、その分だけ、しんどくなっただけなんだろうな。

まぁそんなことね、
クジラさんを知ってから思うように、おらぁなったよ。

てなことで本日はこんな感じで終わりましょう。
またね。

嬉野 雅道

くじらもり惣七・あしたのためのその5

2010年02月15日(月)

奥さん、嬉野です。

さて、札幌のとある美容室の壁に、
鯨さんの描いた絵があります。

これがそのお店の名前です。



じゃっかん私が映ってますね。
というか私にピントが合ってますか?
まぁいいか。

さて、エレベータで上がります。
はい、着きました。ここがその美容室です。

100212_02.jpg

すてきなお店ですね。
あぁ、奥の壁になんか見えますね。

100212_03.jpg

牛ですね。黒い牛です。
好い顔してます。
顔つきに力がありますね。
ちょっと他の部分も見てみますか。

100212_04.jpg

はい。お尻ですね。

他にもね、喫茶店のランプも作ってるんだそうですよ。
行ってみましょうね。
はい着きました!ここです。

100212_05.jpg

このお店のドアを開けてすぐの灯りがそれなんです。
ちょっと中に入ってみましょうね。

100212_06.jpg

まったくねぇ。
ランプの写真というのは撮りにくいですね。
これ、奥は、お店のドアですね。

100212_07.jpg

電球の横のシェードに「鯨」の文字が見えますね。
反対側のシェードも見てみましょう。

100212_08.jpg

これクジラの絵ですね。

他にも鯨さんの作品が飾ってあるお店が札幌にあるのですが、
時間がないので行けてません。
すんません。

明日はね、鯨さんのイラストを御紹介いたしますよ。

嬉野 雅道

くじらもり惣七・あしたのためのその4

2010年02月12日(金)

「海は病院なんだ」と、鯨さんは言う。

なんのことやら分からないし、鯨さん本人に、どういうこと?と聞いても、
なんだか、もごもご言うだけで要領を得ない。

鯨さんにはそういうところがある。

「どうして絵を描いてるの?」と聞いても、
「分からないんだよなぁ...」と、本気で困る。

まぁ、確かにそういうものだよなぁ、という思いもするので質問を変える。

だが、しばらくすると、また、

「海は病院なんだよ」と、言うのだ。

ぼくはまた、なるほどねぇとうなづきながら、
それでも相変わらずなんのことやら分からず、
でもどこかで、そうねぇ、そうなのかもねぇと思う。

病気を治して欲しい時、確かにぼくらは病院へ行くから。
だから病院へ行けば、何かを治してくれるなぁという思いが自分の中にはあって。

でも、治して貰いたいところが何処なのか、
それが分からなければ、ぼくらは病院へなど行くことはないし。

それでも、
「海は病院なんだよ」と鯨さんから聞くと、

治してもらいたいところが何処かも分からないまま、
ただ、暖かい海を思い出し、気分が安らぐ。

海になら。

治して欲しいところが何処か分からないままでも、行けそうな気がする。

だとしたら。

ぼくには治してもらいたいところがあるのかもしれない。

ぼくは意識してなどいないけど、
ぼくの身体は、治して欲しいと訴え続けているのだろうか。

だから海へ行けと、忘れかけた本能が、鯨さんの心の中で囁く。

「海は、病院なんだぜ...」と。

その囁きは、ぼくの耳にも聞こえてくる。

嬉野 雅道