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くじらもり惣七・あしたのためのその3

2010年02月10日(水)

現在、北海道立文学館で、鯨森惣七の絵が数点展示されております。
でも企画展のタイトルは「藤倉秀幸と旅のイメージ」となっており、
鯨さんの名前はどこにも出ていない。
だけれども、行けば鯨さんのコラージュが数点見れる。

鯨さんは、少し前、JR北海道の鉄道車内誌「THE JR Hokkaido」に、イラストつきのエッセイを連載していたことがあり、その時の作品を今回出展しているのだそうです。
展示は北海道立文学館で3月22日まで催されますのでお時間のある方はぜひどうぞ。小中学生以下と65歳以上は無料だそうですよ。ねぇ。行けば好いじゃないのよ。

他にもね、鯨さんはJALの機内誌の表紙にもイラストを描いたりしてまして、実に、知る人ぞ知るの人なのであります。

さて、今日はね、当HTBの人気番組「ハナタレナックス」で、キャップ福屋渉の依頼を受けて鯨森惣七が作ったスタジオ美術のいくつかを紹介いたしましょうね。

奥さん、まずこれね、

100210_1.jpg

魚でしょうね。材木や流木を使ってますね。

100210_2.jpg

近くで見るとこういう顔です。
悪そうな顔でしょう?ねぇ。獰猛な顔つきです。
鯨さんが作るものたちの顔はね、とにかくどれもこれも人相が悪いのですよ。
次もご覧ください。

100210_3.jpg

これ。これはね、鯨さんが作ったデッカイ風神雷神図屏風の部分でね。
これは風神なのですがね。
とにかく悪い顔なわけです。
近よるとこうです。

100210_4.jpg

ねぇ。こわい。
ためしに雷神の方も見ておきますか?これです。

100210_5.jpg

もうもう、鬼のような顔ですね。

100210_6.jpg

これは鯨さんのサインですね。こういうサインなんですね。
次の写真はなんでしょう?ご覧ください。

100210_7.jpg

これ、鳥ですね。
まぁ可愛らしくはないです。
可愛らしくはないんですが、
なんでしょうね、それでも、なんだか愛嬌がある。
可愛くは無いけど、可愛げはある。

どうにもよく分からないんですが、それが鯨さんの絵から受ける印象で。
鯨さんが描く顔は、どれもこれも悪相で、根性が悪そうで、あれなんだけれど、
それだからこそという奇妙な愛着がある。

一番思うのは、こいつらはまぁ、放っておいても自分で生きていくだろうなという安心感。自分を守って生きていこうと思っているからあぁいう攻撃的な顔つきをしていて、
でも、人間から出し抜けに頭なんかを「よしよし」と撫でられたら、あっさり気持ちよさそうに、じぃっとしてそうな雰囲気がある。
そういう従順な素朴さを感じさせる匂いがあるから、可愛げがあると感じてしまう。

意地の悪そうな顔つきをしているけど、同時に明らかに頭も悪そうだから、
他人をからかったり、いじわるをしたり、悪巧みとかはできそうになく、そういう安心感が如実にするから、こいつらに囲まれたとしても、きっとそんなに怖くは無い。
少なくとも危害を加えそうな雰囲気を持っているやつは一人もいない。

ガツンと拳固で殴ったら「うぅ~っ」と凶暴な顔して唸るけど、飛び掛っては来ないし、
噛み付いたりしない。
ただ、殴るたびに牙を剥いて唸り声をあげる。
でも、飛び掛っては来ない。
あんなに鋭い牙を持っているのにけして噛んだりはしない。

気まぐれにやさしく頭を撫でてやると、気持ちよさそうに喉を鳴らす。
そうして幸せそうにじっとする。
そうしていつまでも優しく撫でてくれと頭を押し付けてくる。
本当はずっとそうして欲しかったんだといわんばかりに。

そんな印象をぼくらに与えるのは、鯨さんが使う、暖かそうな色味からくるのかもしれない。鯨森惣七の色使いには一粒の暗さもないように思えたりもする。

それでも聞けば、小さい頃から、鯨森惣七の友だちは、犬と壁だけだったのだという。

小さい頃から鯨森惣七のそばを離れなかった一匹の飼い犬と、キャッチボールの相手をずっとしてくれた家の壁。

そんなことを聞けば、それは寂しげな境遇だけれど、鯨森惣七の原点には、犬と壁という、いつまでも鯨森少年を構ってくれた、二つの裏切ることのない存在があったのだとも思える。それは、鯨さんにとって、幸福な時代だったのだとも思えてしまう。

嬉野 雅道

くじらもり惣七・あしたのためのその2

2010年02月09日(火)

さて奥さん。
今、キャップ福屋渉は、当時の鯨森惣七をこう振り返るわけです。

「いつもカウンターの端にね、熊みたいにでっかい親爺が座ってるんですよ。
その親爺、いっつも黙ってひとりで呑んでるだけなんですけどね、
なんだか、妙に存在感があるんですよ。とにかく目立つんですよ。」

遅れて、絵描き鯨森惣七は当時のキャップ福屋渉をこう振り返るわけです。

「いつもカウンターの端にさぁ、ヒョロ長くてさぁ、
背のデッカイ、色の黒い男がいるんだよ。
そいつさぁ、ビール飲みながら大きな声で話したり笑ったりしてるんだけど、
なんだか、寂しそうに見えるんだよ。
なんかね、ひどく心が荒んでる奴に見えたんだ。」

寂しい者どうし、やはり引き合うものをその身体から出していたのであろうか、
双方とも印象深く覚えていたのである。

ある夜のことだった。
キャップ福屋渉は、いつものようにBARの扉を押したのだ。
すると、店内は、いきなりのどんちゃん騒ぎ。
後で聞いたら、その日は、BARの開店記念日だったということで、
無礼講のパーティーが開催されていたのだった。

不意打ちの盛り上がりに面食らった福屋渉の視線の先に、もっと面食らうことをしている奴がいた。
そいつは腰を丸めてカウンターにものすごく顔を近づけて、なにやらもぞもぞ身体を動かしてるのだ。
なにをしているのだとなおも見れば、なんとそいつは右手に白マジックを握り、白マジックの直描きで店のカウンターに落書きをしているのだった。
だが、止める者はない。
男の顔をよく見ると、例の熊みたいにデッカイ親爺だったというわけで。

その親爺がカウンターに描いた絵と、その絵の脇に添えられた一行程度のコメントに福屋渉は素直に惹かれたという。
その時以来、福屋渉は改めてその親爺を好ましい人物として認識し、いっそ番組の美術を任せてみようとかとまで惚れ込むのである。

その時の鯨森惣七の状況を、昨日、本人に確認した。
こうであったという。

まず鯨森惣七は、その夜、常連らしく店へのご祝儀にと新しく焼酎のボトルを入れた。
そしてバーテンから渡されたボトルに、同じく渡された白マジックで自分の名前を書いていたところ、名前の横に、さらにイラストを描いてみた。

描いてみると、そのイラストの線が、どうにもボトルからはみ出しそうになったのだと鯨森惣七は振り返る。

そうして、イラストの線は、ボトルの中だけに留まれず、勝手に、カウンターの上に伸びてしまったのだと言うのだった。
そんな心境になったことのない私としては、もはや笑うしかないが。

こうしてボトルからはみ出してしまった白マジックの線は、結局カウンターの上に出ても、なかなか止まらず、カウンターのこっちの端からあっちの端へと、次々と犬やら猫やら鯨やら、なんだかどうにもわけのわからんものの絵とかなんとか、とにかく独特の雰囲気を持ったイラストを描き継いでしまったのだという。

そんな事件を切っ掛けに、鯨森惣七は、キャップ福屋渉の依頼で、「ハナタレナックス」の美術を担当することになるのであった。

ということでね、明日は少し鯨森惣七さんの作品を紹介してみましょうね、奥さん。

嬉野 雅道

くじらもり惣七・あしたのためのその1

2010年02月08日(月)

おはようございます。
嬉野です。

さて奥さん。
人が酒を飲む。しかもそこは自宅ではなく、
見も知らぬ男女が気ままに出入りするBARなのであります。

帰る家はあるのです。なのに、その男は仕事を終えてもその家へ帰ろうとしない。
そうして、あの煙草くさいBARの扉を、今夜もまた開けてしまうのでありますよ。

人間は寂しいのだと誰かが言っておりました。
だったら寂しさの待っているようなところへは、誰も帰りたくはなかろうと思うのです。
そしてその寂しさの待つところが、こともあろうに我が家であったとするならば、
人は、その家に帰る理由を失うのです。

人の行動には理由が必要なのだと誰かが言っておりました。
それはまぁ私が言ったのですがね。

つまり、寂しさや悪運が身近にあるのであれば、人は可能な限り避けたかろう。
避けきれぬとしても出来る限り迂回しようと務めるものです。

自分の家に帰っても、そこには寂しさが待っているのだ、と思えてしまうのであれば、ぼくらはその場所を迂回することでしょうよ。
そして、その迂回路の途中にさ、柔らかい人の温もりの風が吹き抜けるBARの扉があったりすれば、その扉を押し、酔客という、その場限りの人間関係の中へ逃げ込んでしまうものなのです。

かくのごとく考えていけばね、
夜更けのBARの扉を押してしまうという行為の中には、
実に、切実な理由があるのだと分かるのです。

そんな理由に導かれて、男は夜更けのBARの扉を押したのです。
そして、そんな寂しさを抱えて暮らす男の名を、人はキャップ福屋渉と言うのです。

いやまぁ、なんでしょう、確かに、ここは、ぼくらの近くにいるアーティストを、
全国の皆さんに紹介するためのページであってね、
何もうちの制作部長の寂しい境遇をこまごまと報告する場ではないわけですよ。

しかしながらですよ。
なぜでしょうか、書いておりますと、
知らぬ間に、どうしても、こういう流れになってしまうのでありますよ。

う~むと思いつつも。このサイトの底には不幸やら寂しさやらが春の小川のめだかやおたまじゃくしのように群れ流れているのだと思えてしまうものだから、ついつい、うちの制作部長の人生を、かくのごとく赤裸々に綴ってしまうのでありますよ。

実際、これを読み、我が制作部長キャップ福屋渉氏は不服であると思うのです。
なんでオレの人生をね、そこまでフューチャーする必要があるんだと、
キャップから怒りの投書だって来そうでありますが、やはり、これはですよ、
ゆるがせには出来ないテーマのような気がするのでありますよ。

なぜならね、ここで紹介する絵描き鯨森惣七もまたね、家族を持ちながらですよ、家庭内別居というね、家庭の事情により、帰る理由を失い、同じBARの扉を押し続けていたわけですからね。

その二人が、このBARで出逢うのです。
物語はその巡り会いという偶然から生まれていったのだ、と思えば。
迷惑だ!と、キャップ福屋渉氏に言われようとも、やはりそれは、ゆるがせには出来ない春の小川の流れというものなのである。という一応の結論ですよ。

とまぁ、本日のところは言っておくのでありますね。

嬉野 雅道

画家・鯨森惣七氏とキャップ福屋渉氏との出会い

2010年01月25日(月)

はい、嬉野です。
よくいらっしゃいました。
これからは、ここにもちょくちょく顔を出しますのでね、
しばし、お付き合いを願います。

さて、奥さんね。
去年ドラマを作りましたでしょ。
ごらんになりました?
「ミエルヒ」。

なにしろ準備期間を入れると一年に渡るという長期の仕事でね。
ですから去年は会社帰りにうちの制作部長のキャップ福屋渉氏とキャップ行きつけの酒場に引っかかりまして。呑むことが多かったですよね。

ドラマのプロデューサーとして名を連ねたのが、ぼくとキャップで。
とにかくこの二人だけで、ロケが始まるまでの準備をするしかないわけで。
ドラマなんてお互い初めてのことですから、なんとなく仕事で不安のことがあるわけです。
そうしますと人間、その不安の事について話がしたくなるのですよ。
だもんで、仕事帰り、どうしても酒場に寄っていく。

酒を呑むというのはねぇ奥さん、
つまりは話をするということで。
仕事上のことで不安があればですよ、
不安なカ所について話をし、お互い気を楽にしたうえで明日に臨もうという、
酒場とは、実に切実な時間ですよ。

そうなればですよ、
いきおい話し相手はうちの女房ではなく、キャップ福屋渉氏となるわけでしょう。
となれば、毎夜、我が家へ直行できず、ワンクッション酒場に引っかかる。

しかしながら、聞けばキャップはね、
ドラマに取り掛かる以前から、
会社帰りは酒場に引っかかっていたわけですよ奥さん。

なぜか。
つまり、自分のねぐらに直行する理由がキャップにはなかったということでね。

だって奥さん、我が家へ直行したって、
そこに愛する妻がキャップを待つわけでなし、
愛する犬がキャップを待つわけでなし、でしょう。

不安があれば話したいと思うのが人間です。
それなのに自分の部屋へ帰っても誰も居ないのです。
(どうも筆が滑っていけない。いたずらに書き過ぎるとキャップもどっかで怒るわけで)

人間の行動に不可欠のものはなんだと思われます?
そう。「理由」ですよ奥さん。
自宅に帰るには帰るなりの理由がないと、人間、自宅にも帰れないのでありますよ。
ここんとこ深い話ですよこれ。
しかしながらこれ、人間にはしごく当然のなりゆきでね。
悲しみを帯びた話なわけで。

で、まぁ。世間にはね、
キャップ福屋渉氏の他にも、
なんですか似たような悲しい境遇の方がおられるわけでね。
そう言う方々が行き場を求めて、
やっぱり洩れなく夜の酒場においでになるわけ。

かくのごとき理由で、
夜な夜な酒場のドアを開ける彼ら彼女らは、
いつしか顔なじみになり、いずれ言葉を交わすようになれば、
やがては飲み友達になっていくという按配で。

でまぁ、そんな酒場で、キャップ福屋渉氏は、
鯨森惣七(くじらもりそうしち)なる絵描きと知り合うわけです。
鯨森惣七も、そのころ、自宅にすんなり帰る理由を失い、行き場を求めて酒場のドアを開けてしまっていたのだろうと思うのです。

ということでね。
本日のところは、このあたりで終了。
続きは後日。

奥さん。
お暇でしたら、また明日以降、ここへお立ち寄りくださいませ。
鯨さん、ほんと好い絵を描くのよ。
そのうち見せますから。
「早く見せろ?」
まぁ、ゆっくりやってくから。
いいじゃないのよ。

いろんな人がここ、書くことになってっから。
奥さん、お楽しみにね。

では本日は解散。

嬉野 雅道