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アーティスト応援企画ブログ

くじらもり惣七・あしたのためのその2

2010年02月09日(火)

さて奥さん。
今、キャップ福屋渉は、当時の鯨森惣七をこう振り返るわけです。

「いつもカウンターの端にね、熊みたいにでっかい親爺が座ってるんですよ。
その親爺、いっつも黙ってひとりで呑んでるだけなんですけどね、
なんだか、妙に存在感があるんですよ。とにかく目立つんですよ。」

遅れて、絵描き鯨森惣七は当時のキャップ福屋渉をこう振り返るわけです。

「いつもカウンターの端にさぁ、ヒョロ長くてさぁ、
背のデッカイ、色の黒い男がいるんだよ。
そいつさぁ、ビール飲みながら大きな声で話したり笑ったりしてるんだけど、
なんだか、寂しそうに見えるんだよ。
なんかね、ひどく心が荒んでる奴に見えたんだ。」

寂しい者どうし、やはり引き合うものをその身体から出していたのであろうか、
双方とも印象深く覚えていたのである。

ある夜のことだった。
キャップ福屋渉は、いつものようにBARの扉を押したのだ。
すると、店内は、いきなりのどんちゃん騒ぎ。
後で聞いたら、その日は、BARの開店記念日だったということで、
無礼講のパーティーが開催されていたのだった。

不意打ちの盛り上がりに面食らった福屋渉の視線の先に、もっと面食らうことをしている奴がいた。
そいつは腰を丸めてカウンターにものすごく顔を近づけて、なにやらもぞもぞ身体を動かしてるのだ。
なにをしているのだとなおも見れば、なんとそいつは右手に白マジックを握り、白マジックの直描きで店のカウンターに落書きをしているのだった。
だが、止める者はない。
男の顔をよく見ると、例の熊みたいにデッカイ親爺だったというわけで。

その親爺がカウンターに描いた絵と、その絵の脇に添えられた一行程度のコメントに福屋渉は素直に惹かれたという。
その時以来、福屋渉は改めてその親爺を好ましい人物として認識し、いっそ番組の美術を任せてみようとかとまで惚れ込むのである。

その時の鯨森惣七の状況を、昨日、本人に確認した。
こうであったという。

まず鯨森惣七は、その夜、常連らしく店へのご祝儀にと新しく焼酎のボトルを入れた。
そしてバーテンから渡されたボトルに、同じく渡された白マジックで自分の名前を書いていたところ、名前の横に、さらにイラストを描いてみた。

描いてみると、そのイラストの線が、どうにもボトルからはみ出しそうになったのだと鯨森惣七は振り返る。

そうして、イラストの線は、ボトルの中だけに留まれず、勝手に、カウンターの上に伸びてしまったのだと言うのだった。
そんな心境になったことのない私としては、もはや笑うしかないが。

こうしてボトルからはみ出してしまった白マジックの線は、結局カウンターの上に出ても、なかなか止まらず、カウンターのこっちの端からあっちの端へと、次々と犬やら猫やら鯨やら、なんだかどうにもわけのわからんものの絵とかなんとか、とにかく独特の雰囲気を持ったイラストを描き継いでしまったのだという。

そんな事件を切っ掛けに、鯨森惣七は、キャップ福屋渉の依頼で、「ハナタレナックス」の美術を担当することになるのであった。

ということでね、明日は少し鯨森惣七さんの作品を紹介してみましょうね、奥さん。

嬉野 雅道

ペ・リスボーの旅 ダラララー

2010年02月09日(火)

おはようございます。きのうはくじらさんが来て追い込みの打合せをしていきました。いま、みんなで「絵本」をつくっているんです。絵本、って響きがいいよね。絵本と聞いてどんな本を思い出しますか?サン=テグジュペリの「星の王子さま」って、世界で一番有名な絵本だそうね。読んだことありますか?名作って意外と読まれてないことが多いものですが。「星の王子さま」もその一冊ではないかと思うんです。それとサン=テグジュペリが、パイロットで、敵軍の偵察のために飛び立ったのを最後に行方不明になってしまったことを知っていますか?出版当時は第二次世界大戦っていう戦争を世界中でしていたんだよね。たしか、「星の王子さま」が遺作だったような記憶があります。

だからね、そもそも「絵本」として書いたものなんだろうかって思うんだよね。ストリーは子供向けですが、その内容はむしろ大人に向けて書かれたもののような気がするんです。実際、「星の王子さま」の前書きで、サン=テグジュペリ自身が「子どものみなさん、ゆるしてください。ぼくはこの本をひとりのおとなのひとにささげます」と書いています。「ぼくのせかいでいちばんの友だち」であるレオン・ウェルトに捧げられた本だったのです。キツネの言葉「こころで見なくっちゃ、ものごとがよく見えないってことさ。大切なことは、目にはみえないんだから」というのは、これから大人になるこどもたちへ向けたものとも解釈できますが、大人たちへの警句のようにも思えます。レオン・ウェルト君がかつてない迫害を受けたユダヤ人だったことを知れば。

大切なことは目には見えるかたちで現れたりはしない。それは、日々折り重なっていく日常の中に埋もれているささやかだけれど、大切な何かを感じ、すくいとることで、発見しなければなりません。発見することは大切なことだよ。自分と世界のかかわりに気づくことだからね。何かを見てこころが動くのは、動きたいこころを持っている人だけです。小さい、って感じることほど実は大切だったりするんです。

いせひでこさん、っていう絵本作家さんがいるのね。絵と文を書いていらっしゃる。
「ルリュールおじさん」っているパリの装丁職人さんのお話なんだけれど、実に奥が深いんです。いせさんは、取材のために7ヶ月もパリに滞在して装丁職人さんたちの世界を掘り下げたんですって。絵本ってやわじゃないでしょ。ちゃんと向き合わないと振り飛ばされますよ。

くじらさんの絵本の名前は「ペ・リスボーの旅 ダラララー」っていいます。
なんだかおかしな名前だね。どんなお話かはここでは書きませんよ。そんなヤボなことはしないよ。でも、出来上がったら、ぜひ手にとってみて欲しいんです。

くじらさんは、また明日いらっしゃいますよ。
絵本の名前は覚えて欲しいな。よろしくね。

あ。うれしーが引き出しにたまったものを書き出してますね。奥さんだけじゃないですよ。「あしたのためのその2」。荒々しいキャップとくじらさんとの出会いをお読み下さいね。↓

しのぴー

追い込みです

2010年02月08日(月)

身近にいるゲージュツカさんを勝手に応援しちゃおうという、うとふの企画。
最初におつきあいいただくのは、鯨森惣七さん。

きょうも僕のデスクの後ろで、てんちょとくまくまを交えて、春に出版する予定の「絵本」の打ち合わせが追い込みです。さっき、てんちょが三時のおやつ(?)にアイスクリームを配ってましたね。僕はチョコレート味をもらったけれど、くじらさんは「こんな寒い日になぁ」とかいってましたね。でも、きょうは気温がゆるんで、最高気温はプラス。くじらさんの絵を見ながら食べる、まったりとしたチョコレート味のアイスは、冬の森のような味でした。

そうそう「絵本」ってカッコをつけたのは、くじらさんと一緒につくったものを、どう呼んだらいいかわからないからね。でも、くじらさんは、間違いなく「絵本」をつくったんだ。

てんちょと僕の会話。
「ちょっと時間ありますかぁ?」
「みりゃわかるでしょう。時間はありますよぉ」
「くじらさんの本なんですけど、どういう名前にしたらいいんでしょうね?」
「絵本じゃなかったの?」
「絵本なんですけど、絵本っていっていいのかって思って」
「僕はこういうふうに思うよ。説明しなくてはわからないものは、説明してもわからないって。だから説明しなくていいんだよ。絵本だっていえば、その瞬間に絵本になるんだから」

てなわけで、とてもステキな「絵本」、着々と制作進行中!っていっておきますよ。
そのうち、うれしーあたりが、くじらさんのことをいっぱい書いてくれると思います。
あ。もう書いたって。「あしたのためのその1」って。でも、まだ1だけでしょう。
たくさん聞いた話は、たくさん書かなきゃ。

そのために藻岩山の麓の珈琲店にいったんだからね。
りっぱなお仕事でしょう。ちゃんと書こうね、うれしー。

「絵本」の世界から一足お先にケータイのきせかえがリリースされます。
くわしくは、またこのブログとかで発表されると思います。

また、このブログを読みに来てね!
(そういえば、先週、広報部のo_nさんが写メして書き込んでくれたね。
ありがとうo_n!)

しのぴー

くじらもり惣七・あしたのためのその1

2010年02月08日(月)

おはようございます。
嬉野です。

さて奥さん。
人が酒を飲む。しかもそこは自宅ではなく、
見も知らぬ男女が気ままに出入りするBARなのであります。

帰る家はあるのです。なのに、その男は仕事を終えてもその家へ帰ろうとしない。
そうして、あの煙草くさいBARの扉を、今夜もまた開けてしまうのでありますよ。

人間は寂しいのだと誰かが言っておりました。
だったら寂しさの待っているようなところへは、誰も帰りたくはなかろうと思うのです。
そしてその寂しさの待つところが、こともあろうに我が家であったとするならば、
人は、その家に帰る理由を失うのです。

人の行動には理由が必要なのだと誰かが言っておりました。
それはまぁ私が言ったのですがね。

つまり、寂しさや悪運が身近にあるのであれば、人は可能な限り避けたかろう。
避けきれぬとしても出来る限り迂回しようと務めるものです。

自分の家に帰っても、そこには寂しさが待っているのだ、と思えてしまうのであれば、ぼくらはその場所を迂回することでしょうよ。
そして、その迂回路の途中にさ、柔らかい人の温もりの風が吹き抜けるBARの扉があったりすれば、その扉を押し、酔客という、その場限りの人間関係の中へ逃げ込んでしまうものなのです。

かくのごとく考えていけばね、
夜更けのBARの扉を押してしまうという行為の中には、
実に、切実な理由があるのだと分かるのです。

そんな理由に導かれて、男は夜更けのBARの扉を押したのです。
そして、そんな寂しさを抱えて暮らす男の名を、人はキャップ福屋渉と言うのです。

いやまぁ、なんでしょう、確かに、ここは、ぼくらの近くにいるアーティストを、
全国の皆さんに紹介するためのページであってね、
何もうちの制作部長の寂しい境遇をこまごまと報告する場ではないわけですよ。

しかしながらですよ。
なぜでしょうか、書いておりますと、
知らぬ間に、どうしても、こういう流れになってしまうのでありますよ。

う~むと思いつつも。このサイトの底には不幸やら寂しさやらが春の小川のめだかやおたまじゃくしのように群れ流れているのだと思えてしまうものだから、ついつい、うちの制作部長の人生を、かくのごとく赤裸々に綴ってしまうのでありますよ。

実際、これを読み、我が制作部長キャップ福屋渉氏は不服であると思うのです。
なんでオレの人生をね、そこまでフューチャーする必要があるんだと、
キャップから怒りの投書だって来そうでありますが、やはり、これはですよ、
ゆるがせには出来ないテーマのような気がするのでありますよ。

なぜならね、ここで紹介する絵描き鯨森惣七もまたね、家族を持ちながらですよ、家庭内別居というね、家庭の事情により、帰る理由を失い、同じBARの扉を押し続けていたわけですからね。

その二人が、このBARで出逢うのです。
物語はその巡り会いという偶然から生まれていったのだ、と思えば。
迷惑だ!と、キャップ福屋渉氏に言われようとも、やはりそれは、ゆるがせには出来ない春の小川の流れというものなのである。という一応の結論ですよ。

とまぁ、本日のところは言っておくのでありますね。

嬉野 雅道

真剣な打ち合わせのようで

2010年02月05日(金)

―ポテトサラダには醤油かソースか?それとも、そのままか?

―いや、目玉焼きにはやっぱり醤油だ。


こんな会話が繰り広げられてました。

店長、塩分は少し控えた方が...

そして、シュークリームを箸で食べるアーティストくじらさん。

和やかですが、打ち合わせは着々と進んでるようです。

しのぴー

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