くじらさんとてんちょとくまくま
2010年02月05日(金)
きょうから雪まつりが始まりました!札幌も氷点下10℃前後ですから、お越しになる時はダウンなどの暖かいウェアをon忘れなくねー。きのう、このブログを書くという理由で藻岩山の麓まで連れて行かれた鯨森さんですが(つまり昨日は来る予定じゃなかった)、きょうはてんちょと、くまくまとの打合せでいらっしゃってます。
僕の席のうしろはね、ちょっとした休憩スペース(お昼のお弁当はここで広げます)&打合せスペースになっていて、文字通り、ザ・打合せなう。
ところで、村上春樹さんの最新長編小説「1Q84」は読んだ方も多いでしょう。
読んでなくても、昨年最も売れた本として、「1Q84」現象みたいに取り上げられていたので、記憶にある方もいらっしゃるでしょう。
単行本って、文庫本とちがって、セレクトして買うところがありせんか?
ハルキは昔から好きだけれども、単行本で読んだのは少ないですね。「ノルウェーの森」とか、あと「アフターダーク」、「海辺のカフカ」。「1Q84」は書店の一番いいとことにドカン、ドカンと置いてあって、買おうと思ったときはすでになくなっていて(売り切れね)、読むチャンスを逃していました。それで、今頃って感じもしますが、これだけは読まなくっちゃと思ってね。
内容について、ここで書くことはしませんが、すごくキレた物語世界だと思います。
キレたというのは、時代と対峙しているということだね。作家にその意識があるか、ないかは別にして、時代に中に文学世界を置こうとしているんじゃないかと。
ぐぐっと文脈を引き寄せちゃいますけれど、鯨森さんが今書いているお話も、キレているという意味では共通していると思います。今だから、おとなだから書く。描く。自分の持つ表現手段で向かい合う。それが、くじらさんの飄々とした風貌からは想像つかないんだけれどねー。
でも、確かに小柄を懐にしまっているひとだと、僕は思う。
そういうおとなの男が、少年にように夢中になって書いて、描いて。
だからステキなんだって。そう思うんだ。
しのぴー
くじらさんとうれしー
2010年02月04日(木)
2月に入りましたね。札幌は5日から第61回を迎える「雪まつり」がいよいよ始まります。きのうは今シーズン一番の冷え込みでしたが、きょうは少し緩んだけど、まだまだ寒いです。
でもね、「雪まつり」が終わると(11日)、「冬はまもなく終わるねー」っていう感覚になるわけ。
これは、札幌っ子の感覚かな。実際、2月の半ばまでが寒さが厳しくて、ドカ雪もふるわけ。だから、大体の皮膚感覚でしょうね。人間の一番の温度センサーは「顔」なんですよ。顔でね体温を調節しているっていえばいいかな。外はフリーザーのような寒さですが、会社や室内に入ると温かい。で、顔で感じて交感神経というのをカラダが自分で働かせて調節してくれている。年取るとね、この機能っているのがちょっと上手く働かないこともあるみたい。
気をつけよぉっと。気つけてもしかたないか。
さっき、くじら(鯨森)さんとうれしーがひょっこり一緒に現れましたよ。なんだか、仲良かったね。
「あれ、どうしました、2人して。ご一緒だったの?」
「そうなの。お茶してました」
「どこで?」
「藻岩山の下で」
「はぁ?」
なんだかね、藻岩山の麓に感じのいい、もちろん味も確かな珈琲店があるらしいんだよね。そこで2人してお茶していたんだって。
いいね。
くじらさんとうれしーは、根っこのところで共通のものを持っているような気がする。
もちろん年は違いますよ。でも、なんだろう、匂い、って言えばいいかな。
ヒトとして立っているところが似ていると思います。
きっと藻岩山の麓で、真っ白な木々と山肌を見ながら話したことは、森に吸い込まれていくでしょう。でも、少しはこぼれて、このブログにのっかってくれると思うな。
みんな。
ちょっと待ってみましょうよ。
このブログはそういうところがあると思うな。
あふれるときは、どっとあふれる。
ヒトの思いや記憶と同じ。
しのぴー
いよいよキックオフ!
2010年01月25日(月)
長い間準備に準備を重ねてきた「アーティスト応援企画」。いよいよ街のゲージュツカさん、鯨森さんとご一緒する企画がスタートします。
ものをよくわかったおじさんの話は聞くもんだよ。という今回のプロジェクト。まずは携帯の着せ替えからスタートしますが、なにせHTBさんのやることですから、何をするかわかりませんよ、本当に。これだけは言っておきますよ。こういう時代ですからね。言っておくべきことは言う。これがおじさんの立ち位置ですねー。
鯨という"海"と、森が合わさったような、温かい世界をon届けしたいと思っております。さてさて、いよいよキックオフです!
しのぴー
画家・鯨森惣七氏とキャップ福屋渉氏との出会い
2010年01月25日(月)
はい、嬉野です。
よくいらっしゃいました。
これからは、ここにもちょくちょく顔を出しますのでね、
しばし、お付き合いを願います。
さて、奥さんね。
去年ドラマを作りましたでしょ。
ごらんになりました?
「ミエルヒ」。
なにしろ準備期間を入れると一年に渡るという長期の仕事でね。
ですから去年は会社帰りにうちの制作部長のキャップ福屋渉氏とキャップ行きつけの酒場に引っかかりまして。呑むことが多かったですよね。
ドラマのプロデューサーとして名を連ねたのが、ぼくとキャップで。
とにかくこの二人だけで、ロケが始まるまでの準備をするしかないわけで。
ドラマなんてお互い初めてのことですから、なんとなく仕事で不安のことがあるわけです。
そうしますと人間、その不安の事について話がしたくなるのですよ。
だもんで、仕事帰り、どうしても酒場に寄っていく。
酒を呑むというのはねぇ奥さん、
つまりは話をするということで。
仕事上のことで不安があればですよ、
不安なカ所について話をし、お互い気を楽にしたうえで明日に臨もうという、
酒場とは、実に切実な時間ですよ。
そうなればですよ、
いきおい話し相手はうちの女房ではなく、キャップ福屋渉氏となるわけでしょう。
となれば、毎夜、我が家へ直行できず、ワンクッション酒場に引っかかる。
しかしながら、聞けばキャップはね、
ドラマに取り掛かる以前から、
会社帰りは酒場に引っかかっていたわけですよ奥さん。
なぜか。
つまり、自分のねぐらに直行する理由がキャップにはなかったということでね。
だって奥さん、我が家へ直行したって、
そこに愛する妻がキャップを待つわけでなし、
愛する犬がキャップを待つわけでなし、でしょう。
不安があれば話したいと思うのが人間です。
それなのに自分の部屋へ帰っても誰も居ないのです。
(どうも筆が滑っていけない。いたずらに書き過ぎるとキャップもどっかで怒るわけで)
人間の行動に不可欠のものはなんだと思われます?
そう。「理由」ですよ奥さん。
自宅に帰るには帰るなりの理由がないと、人間、自宅にも帰れないのでありますよ。
ここんとこ深い話ですよこれ。
しかしながらこれ、人間にはしごく当然のなりゆきでね。
悲しみを帯びた話なわけで。
で、まぁ。世間にはね、
キャップ福屋渉氏の他にも、
なんですか似たような悲しい境遇の方がおられるわけでね。
そう言う方々が行き場を求めて、
やっぱり洩れなく夜の酒場においでになるわけ。
かくのごとき理由で、
夜な夜な酒場のドアを開ける彼ら彼女らは、
いつしか顔なじみになり、いずれ言葉を交わすようになれば、
やがては飲み友達になっていくという按配で。
でまぁ、そんな酒場で、キャップ福屋渉氏は、
鯨森惣七(くじらもりそうしち)なる絵描きと知り合うわけです。
鯨森惣七も、そのころ、自宅にすんなり帰る理由を失い、行き場を求めて酒場のドアを開けてしまっていたのだろうと思うのです。
ということでね。
本日のところは、このあたりで終了。
続きは後日。
奥さん。
お暇でしたら、また明日以降、ここへお立ち寄りくださいませ。
鯨さん、ほんと好い絵を描くのよ。
そのうち見せますから。
「早く見せろ?」
まぁ、ゆっくりやってくから。
いいじゃないのよ。
いろんな人がここ、書くことになってっから。
奥さん、お楽しみにね。
では本日は解散。
嬉野 雅道