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平成ノブシコブシのヨルオシ!!

夜押人語

ヨルオシ人語

2013年3月15日(金)

 私が2人と別れた際に書いたこのコラムが2010年12月10日だったので、彼らに会うのはほぼ2年3ヵ月ぶりだ。その間、キー局のテレビ番組で観ない日は無いくらい活躍してきた。正直こんなにブレイクするとは想像もしていなかった。久しぶりに会った平成ノブシコブシは偉ぶることはなく、あの日のままの気さくな2人だった。「戸島P、元気でしたか。またよろしくお願いしますよ。」彼らを取り巻くメディアでの露出、それに伴う人気が2人の知らないうちに有名にしてしまった感じだ。
 ヨルオシ!!の初回ロケは3月某日、札幌で行われた。我々が考えた企画は「ヨルオシ!!復活を吉村の地元・西区八軒でPRしよう」というもの。スタートは吉村の実家から。今は父親の耕治さんが一人で暮らしている。「洗面所借りるわ~」と姿を消したのは徳井。すっかり我が家。徳井もここで暮らしていたかのようだ。居間でスタッフがカメラをスタンバイしている間、吉村は居間の隣にある部屋に入った。ふと覗くと、仏壇に線香をあげ、先祖の霊に手を合わせていた。吉村は幼いころ両親が離婚。父親と祖母とこの家で暮らしていた。祖母は吉村が上京後に亡くなったと聞いている。小学生から高校生になるまで世話をしてくれた祖母への感謝をいつまでも忘れていない彼の姿に、「破天荒」キャラでは見られない一面を垣間見た。


ロケでは番組PRのチラシを持ち、八軒の住宅地を練り歩いた。人影はまばらで高齢者の姿が目立つ。吉村は近所のお年寄りにはスターだ。「たっくん元気にしてた?いつも見てるよ~」。崇は、たっくんと呼ばれていたのか。話を聞くと、とてもおとなしい真面目な少年だったという。近所の住民にPRした後は、高校時代、初めてアルバイトをした整骨院へ。なんとそこには当時のバイトの先輩が今でも働いていた。懐かしい話に花が咲く。きっと時間があれば酒を酌み交わしながら語り合っただろうが、ヨルオシ!!は日帰りロケ。夜には東京に戻らなければいけない。
 そして吉村の通っていた中学校へ。1年生の教室で吉村は授業を行った。小学校を卒業し1年にも満たない彼らに32歳が語ったこととは・・・中学時代には地理の先生になりたかったこと。お笑い芸人としてデビューしたものの、金がなく2日間水を飲んで過ごしていたこと。何事にも恐れずぶつかっていけ!たとえ失敗しても、それは長い人生においての大いなるフリに過ぎない・・・20歳ほど年の離れた後輩にわかりやすく伝えていた。子供たちは目を輝かせ、一言一言を聞き漏らすまいと真剣に聞いていたのが印象的だった。
 おっと、これ以上書くとネタバレになってしまう。いやもうネタバレしたか(笑)
このようにヨルオシ!!にはキー局ではみられない平成ノブシコブシがいます。



プロデューサー・戸島龍太郎

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